痛風は贅沢病です・・なんて言ったら、
すごい反発をくらいそうですね。
何言ってんだ!
なにもゼイタクなんかしてないぞっ!?
・・・って。
ですが、そういう意味ではないんです。
そもそも、人類の歴史は「飢え死に」との戦いでした。
人間はいつも腹をすかせて、食べ物を求めていました。
食べ物が豊富にありすぎて、明日食べるものにも困らない、
お金さえあれば、パンくらいならコンビ二でもスーパーでも
いくらでも売ってる。
・・・こんなふうになってきたのは、
ほんの・・100年くらい。
本当に豊かになってきたのは、ここ50年くらい。
今でも日本でも、ごく稀に飢え死にする人はいますが、
新聞に載るでしょう。
もう、珍しくなってきているのですよ、飢え死には。
自殺はアチコチであっても、飢え死には滅多にありません。
飽食の時代ですからね。
日本の歴史は、何十年、何百年・・いや、何千年、何万年、
ず~っと、ずっと、飢え死にの歴史なんです。
いつもロクに食べ物がなかったのです。
そりゃ、一部の特権階級の人、よく時代劇に出てくるような
悪代官や悪大名、豪族などはお腹一杯食べれたかもしれません。
でも、庶民はいつも食べ物がなく、やせ細っていました。
農作物を作るといっても、
現在のような卓越した技術はないですしね。
食べたくても食べれない。
食べるものがない。
太りたくても太れない。
がりがりの骨と皮だけの体。
そんな時代、誰も痛風なんかなりません。
日本に痛風なんか、なかったのです。
お腹いっぱい、ご飯を食べられませんでしたから。
何も、毎日、
ビフテキ食べてキャビア食べて高級ワインを飲むのだけが、
贅沢じゃないんです。
カップラーメンでも牛丼でも、お腹一杯食べられたら、
それはある意味、贅沢なんです。
いつも周囲には食べ物が溢れています。
そんな時代。
すばらしい時代ですが、別の意味で受難の時代です。
飢え死にしなくて、ありがたい時代ですが、
痛風体質の人にはロクなことがありません。
栄養失調になるくらい、食事摂取を制限すれば、
いくら持って生まれた体質ですら、痛風には
ならないように思います。
が・・ちょっと実現不可能ですしね。